子どもの時、高校いかずにお父さんのヨットで世界一周する予定だった話する?その4

中途半端な留学が気になって大阪の大学でデンマーク語を専攻するようになったわたし

わたしは、中途半端に終わったデンマーク留学をなんだかかっこ悪いと思っていました。半年や一年ならともかく、5ヶ月は本当に中途半端。そして、デンマークの学校生活で日々いろんなものを目にしたけど、言葉がいまいち良くわからなかったので、いったいあれは何が行われていたのだろうかと不明なままでずっと気になって、もっとデンマークの社会や人の生活について知りたいと思いました。

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そして、デンマーク語もそれなりに喋れるようになったものの、耳で聞いて覚えたので文字をどう書いていいのかよくわからず、友達に手紙を書きたくてもうまく書けない。文法は、こういう時はこういう語順にする、みたいなのを感覚というか反射神経?で体得したけど、それがどうしてそういうなるのか理屈がわからず、日本に帰ってからずっとモヤモヤしていました。もっと誰かと、デンマークのいろんな事について語り合いたくて仕方なかったのです

なので、大学受験を考えるようになったとき、日本で唯一、デンマーク語を専攻できる大学が大阪にあると知り、迷わず進学先に選んで大阪の大学へ通うようになりました。それで山口の実家を離れて一人暮らしをするようになったのです。

その頃のお父さんといえば、山口県に引っ越してきてからしばらくまったく仕事をせずにいて、いきなり漁師さんに弟子入りしてやっぱりあきらめたりとよくわからない感じでしたが、その後はどこかの会社の役員をやるようになり、忙しく働いていたように思います。

私が大学に受かったことは父も嬉しかったようで、十分すぎる仕送りをしてくれていました。わたしは、人生で初めて自由を謳歌できる嬉しさにはじけまくっていました。実家に帰りたいという気持ちには全くならず、大阪の大学生活をこれでもかと楽しんで調子に乗っていました。

そして、うどんを食べながらパソコンができる店をはじめたいと斬新すぎる起業をしたお父さん

でも、その人生の春は再び長く続かず、またお父さんがおかしなことを言いだしました。

「お父さんは、うどんを食べながらパソコンができる店をやる」

ちょっと斬新すぎるコンセプトで、ほんとうにわけがわかりませんでした。話を聞いてみると、もともと得意だったパソコンの知識を活かして、うどんを食べにきた人にパソコンを教えたりしたいということだったように思います。

今から20年前は、まだパソコンを持っている人自体が少なくてめずらしいものでしたが、それよりも自分は料理なんて全くできないのに無理だろと大学生だった私もうっすら思ったし、当時は親戚もいろいろ反対していたように思います。

それでもお父さんは家の近くに店舗を借りて改装し、いろんなトラブルが発生しまくりの中で飲食店事業がスタートしました。ずっと専業主婦だったお母さんまで巻き込んで、朝早くから夜遅くまで二人で頑張っていましたが、みるみるうちにお母さんは痩せていき、家の雰囲気も悪くなっていくのを、山口にいる妹や弟の話を通じて感じていました。結果的に、1年ほどであっけなくお店はつぶれてしまいました

ぬるま湯生活から一転、とつぜん仕送りゼロ円の生活になる

そして、大学3年生の冬くらいにお父さんから連絡があり、「これから仕送りを全くできなくなったので、奨学金をマックスまで借りてなんとかやっていって欲しい」と言われたのでした。
それで、すでに無利子の奨学金を育英会で借りていたのに加え、追加で有利子の奨学金を借りることになりました。

十分すぎる仕送り+無利子の奨学金でぬるま湯生活をしていた私はちょっと驚いたのですが、まあお父さんだしそんな展開がありそうな気もしていました。それ以上に、お金を借りるという事の重さをよくわかっていなかったので、あまり深く考えていませんでした

けれど、卒業間際に育英会の説明会的なものが学校であった時、入り口で資料の入った封筒を渡されたとき、私だけ封筒が2つだったので、なんとなく嫌な予感がしたのを覚えています

「普通は、みんなひとつしか借りてないんだ?」

そして卒業と共に背負った奨学金は、なんと280万円!就職できなかったら借金まずいというのと、就職できなかったら山口の実家に帰らないといけなくなるという2つの崖っぷち感は、その後の就職氷河期を戦い抜くパワーを私にくれました。無事に就職もできたし、結婚しても子どもができても働き続けるという、モチベーションのひとつになったと思います
去年、15年かけてようやく奨学金を完済できた時は、ほんとうにホッとしたのでした。

普通だったら、ギリギリの奨学金でなんとか工夫しながら生活するように言いそうなものですが、マックスまで借りさせるお父さんさすが、と返済しながらしみじみ思ったけど、大学生活は大満足だったし、国立とはいえそれなりの額になる授業料はずっと払ってくれたし、一生付き合えるたくさんの友人と、ついでにお父さんと正反対のまともな旦那様にも出会ったので、奨学金は結果的にとても良い投資だったと思っています。

20年経ち、お父さんは、ふつうのおじいちゃんになった

こうして数々の極端な人生経験を私に積ませてくれたお父さんですが、今は夜間専門のタクシー運転手としてずっと働き続けています。なぜ夜なのかというと、田舎では単価の高いお客様が多からだそうです。
もともと運転に自信があったお父さんは、二種免許を一発でとれた、とずっと自慢していました。

そうして、昔あれだけクセの強かったお父さんが、今ではすっかり普通のおじいちゃんになっていて、不思議な感じです。

たまに、私の子どもたちに昔のお父さんの話をするのですが、子どもたちに大好評です。「えー、あの山口のおじいちゃんが、そんなに厳しかったの?テレビみれなかったり友達と遊べないとか、ママたいへんやったな。」と驚いたり面白がったり大喜びしています。昔の話とはギャップが大きすぎて笑えるくらい、マイルドなおじいちゃんになったということです。

おじいちゃん、家族でヨットに乗れなかったのかわいそう

そしてまたある日、子どもたちに、お父さんがヨットに家族をのせて世界一周したかったけど、あきらめたというエピソードの話もしました。

わたしは前みたいに「勝手にそんなふうに人生決められて、ママかわいそう」という反応がかえってくるのを期待していたのですが、意外な反応が返ってきました

えー、おじいちゃん、かわいそう!ずっと家族でヨットに乗って出かけたかったのに、できなくなっちゃって、まじかわいそう

と、長女が言ったので、なんだか私は不意をつかれて、すごく考えてしまいました。

そういえば私は、物心ついてからずっと自分がかわいそうという気持ちしかなくて、そんな風に考えたことなかったし、今まで思いもよらなかった視点での意見を子どもが投げかけてきたことに動揺しました。

でもたしかに、それはお父さんにとって人生かけたくらいの夢だったのだろうから、それは残念だっただろうなあと、何十年も経ってからようやく気がつくことができて、お父さんに対する感情が、何十年かぶりに、少し変わった瞬間でした。


今だに、お父さんとの間には、微妙な距離があります。

仲が悪いわけではないけど、それほど仲が良いというわけでもありません。いろいろとこじらせたまま家を離れて、それから20年も経ってしまったので、その後、どうしていいのか分からない感じで時間が経ってしまいました。

母が元気だった頃は、夫婦2人で大阪までゲリラ訪問してくることもありましたが、母が亡くなってからはそういう事も減りました。今では、年に1回、私が子どもたちと犬を連れてゆっくり実家に帰りますが、それ以外の期間、父に何か電話をするとかは、あまりありません。

でも何となく、お父さんと何かコミュニケーションできないかなと思い、1年ほど前から月に1度、家族の様子を撮った写真を絵葉書にして送るようにしました。iPhoneのアプリで簡単にできるので、良いかなと思ったのです。

先日に実家に帰ったら、それらが全部取ってあって、きちんと壁に貼られていたので驚きました。ああ、こういうのお父さん嬉しかったのか。じゃあ、やってみてよかったな、と思いました。

親が子どもに出来ることって、何だろう?

お父さんには、感謝していることもあれば、散々だったと思うこともあります。

5時に帰らなくて死ぬほど怒られたことは、ちょっとしたトラウマになっていて、今でも夕暮れの時間に外にいると、必死で走って帰っていた頃の不安な気持ちがよみがって、胸が苦しく情緒不安定になることがあります。

自分が小学5年生くらいの頃にはすでに人生を憂いていたので、なんの悩みもないかのように(見える)我が子たちを見ていると、普通の子どもとはこういうものなのかーと妙に感心します。

そして、小さい頃はあんなに海に行くのが大嫌いだったのに。なぜか、定期的にすごく海を見たくなるし、海にいくと懐かしくてワクワクして、毎年ぜったい、海に行きたいと思ってしまいます。

・・・・・・・

お父さんはお父さんなりに、自分のしたいこと、子どもにとって良かろうと思うことをやってくれたのだと思いますが、それが実際、子どもにどう響くかというのは、分からないものだなあと思います。

なので私も、いつもいつも、自分自身の子育てを悩みます。自分の価値観を押し付けてないか。過剰な期待をしていないか。愛情を注げているのか。自分が良かれと思っていることでも、子どもにとっては、迷惑でしかないことかもしれないし、何らかの良い影響を与えるきっかけになるかもしれないし。それは、子どもの感受性や持って生まれた性質次第で、何が幸いとなるか・不幸となるか、ほんとうに分からないのです。

そして人間は自分の知っている人生経験でしか話はできないから、前半ちょっとおかしな人生だった私は、子どもへの接し方は果たしてこれで合っているのかという悩みは尽きないし、自信が持てる瞬間なんて全くないし、やり方を間違ってるかもしれない不安が常にあります。

でも、子どもの幸せを願っているというのは、いつだってそうなのだというのも、親になってよく分かったことです。

書いてみると、長いお話になってしまいました。いい話風にまとめる気はなかったのに、書いていたらエモくなってしまって恥ずかしいですw
最後までお読みいただいた奇特な方、お付き合いいただいて、ほんとうにありがとうございました!


第1話

第2話

第3話

第4話

 

この記事を書いた人

mihoji

大阪でWEB屋さんをやっています。 WordPressを使ったサイト構築と、小規模な企業のマーケティング提案が得意です。 WordPressとIT系勉強会とビールがすき。