子どもの時、高校いかずにお父さんのヨットで世界一周する予定だった話する?その3

デンマークに留学したけど、まさかのオーバーステイと強制退国で終了

デンマークに着いた翌日から、たったひとり、現地の学校に通うことになりました。
私以外はみんなデンマーク人。もちろん授業はデンマーク語です。

第一話はこちら→ https://ishida-webkontor.com/480/
第二話はこちら→ https://ishida-webkontor.com/1559/

この留学、実は何らかの留学エージェントを通じて行ったわけではなく、叔母がデンマークの私立学校の校長先生とたまたま知り合った縁から始まったものでした。日本から姪が来るから入れてくれと言ったら入れたくれたという、とっても非常に私的な留学でした。

ということは、授業中にデンマーク語どころか英語もろくにわからない、15歳の日本人をサポートしてくれる人なんていないんですね。基本的に、わからなければ放置。なんとなく気にはしてくれているけど、みんなのペースで授業は進みます。

当然、まったくわからない。いまなにやってんのか、なんでプリント配られてるのか、さっぱり見当がつかない。
気をつかって、後ろの席の子が「中国語で説明したほうがよくね?」とささやいているけど、いやわたし、中国語わかんない。(当時のデンマークでは日本も中国もあまり区別されてなかったぽい)

それでも毎日、8時から15時まで、ひたすら全くわからない授業をじっと聞いていました。
当時は何といっても15歳。インターネットもない時代だったので世間のことなんて全く知らず、留学とはこういうツラくて大変なものなのかと勝手に理解していたので、何の疑問も持たず、居眠りすることもなく、ただひたすら、教室に座っていました。

担任の先生と、学校の講堂てきな場所で撮った。ちなみに人生最高体重。「ゆるくパーマかけてください」とコペンハーゲンのパーマ屋さんに頼んだら、パンチパーマみたいになった。

叔母の家に帰ると、デンマーク人の叔父や、近所にいた、むかし先生をやっていたという優しいおばあちゃんがデンマーク語を教えてくれました。
余談ですが、そのおばあちゃんとは、20年後に日本上陸したデンマークの雑貨屋さん「Flying Tiger Copenhagen」の社長のお母さんだと知って、驚いたのでした。

クラスの子たちと、叔母の家で撮った

そうして5ヶ月が経った頃、少しづつデンマーク語がわかるようになった矢先、叔母から衝撃の事実を聞かされました。

観光ビザで学校に通っているので、もしかしたら、もう日本に帰らないといけないかもしれない。いま学校に通っているから、このまま通えるように滞在延長を日本大使館にお願いしてみるけど、無理だったら日本に帰らないといけない。

何でそうなるのか、当時の私にはビザとかの国と国の間の仕組みとか全くよくわかっていなかったのですが、なんか、こういう中途半端な展開になるのも、なんかお父さんらしいなあと思いました。

欧州の人の生き方を知って、なんとなく、いろいろ吹っ切れた

けっきょく、滞在延長の許可は下りず、16歳になった3月、私は日本に帰ってきました。
高校をやめずに休学にしておいたおかげで、再び受験することもなく、また高校1年生をやれることになりました。本当によかった。

とはいえ、高校1年生の1学期は1回やっているので、2学期がはじまる9月まではけっこう暇だったので、原付の免許をとってバイクを乗り回したり、たこ焼きを焼くバイトなどをしてお金を貯めて、とつぜん日本に遊びにきた、デンマーク留学で友達になった子といっしょに、京都や東京に遊びに行ったり、フラフラして過ごしました。

25年前の東京・浅草

デンマークから帰ってきた頃から、なんとなく、長年こじらせていた感情が、ふっきれてきているのを感じました。
それも何でなのかはハッキリわからないのですが、デンマークに行って、デンマークの人たちの「人は人・自分は自分」という価値観を知ったことが、ひとつのきっかけになったように思っています。

15歳のとき、デンマークで同年代の人たちと過ごして思ったのは、ほんとうに、いろんな子がいるということ。
面白い子、親切な子、お行儀の悪い子、粗暴な子、冷たい子、おしゃれな子、ジャージばっかり着ている子。
みんな思い思いの個性で生きているし、ちょっとよそよそしさを感じるくらい、他人のことに関わってこないというか、気にしていないのに驚き、それは次第に心地よさに変わっていきました。

自分は自分らしく生きていいし、他人のことは必要以上に気にしないし、干渉もしない。

こういう生き方を知ってからは、まわりの人と同じようにできないことで、長年こじらせていたことが、一気にどうでも良くなりました。むしろ、他人と違うことができたら、面白い、エキサイティングだとさえ考えるようになりました。

さあ、デンマークにいって帰って来て、人生が順調に行き出したと思いきや。
そんなあっさりと、イージーモードにしてくれないのがお父さんです。次回、もう一波乱あって最終回です。


第1話

第2話

第3話

第4話

この記事を書いた人

mihoji

大阪でWEB屋さんをやっています。 WordPressを使ったサイト構築と、小規模な企業のマーケティング提案が得意です。 WordPressとIT系勉強会とビールがすき。